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大学卒業旅行(イタリア・フランス)5日目

 今日は朝っぱらからプラダ・グッチのアウトレットへショッピング。昨日はイタリア人の喋り声がうるさくて寝るに寝られなかったが、気が付いたら朝だった。もっとも、はしもっちゃんは全くそんな事も気付かずぐっすり眠っていた様だが…。昨夜シャワーに入りもしなかったので朝急いで入るが朝食を取る暇がない。その上フィレンツェの朝は本当に冷える。
 バスで約1時間のところにプラダのアウトレットはある。8:00に到着して一番乗りは良いのだがとにかく寒い。氷点下マイナス10度。寒すぎ…。9:30まで中に入れてくれないという厳しさ。それもそうだ。俺がイタリア人だったら本当に日本人はバカだと思うだろう。こんな寒い思いをしてプラダにありつくために並んでいるのは殆ど日本人観光客。俺はプラダよりもグッチに行きたいのに…。ただ、待ったかいはあった。黒いタイとベージュのタンクトップをマスターカードで買ってきた。日本では比べられないほどの安さ。しかもイタリアの普通の販売店よりも安い。来て良かった。

その後、途中昼食をとり、グッチのアウトレットへと向かう。俺はグッチで財布とサングラス、シャツが買いたかった。財布は気に入ったのがあって即それを買うことに決めた。しかし、サングラスが良い型がない。一番欲しかったのはサングラスだったのに…。仕方なく諦め、シャツを探すがこれまたシックなやつがない。派手め派手めで俺にはまぶしすぎる。お袋にスカーフを買おうと思うがどんなやつを買えば良いか分らず、オバちゃんに聞いて柄を決めた。実に凄まじい日本人の買い物姿。日本人の俺があっけに取られる。ただ、その気持ちが分らないでもない。安いものは安いからだ。結局、買う予定ではなかった靴に時間をかけてしまって、一つさりげないビットのローファーを購入。そんな、こんなでフィレンツェの1日目の半日は過ぎていった。

その後は自由行動。俺等はフィレンツェの町を歩き、色々探索。そしてアルノ川に架かるサンタ・トリニタ橋から眺める暮行く夕日に心奪われていった。そのままピッティー宮殿へ行き、パラティーナ美術館をまわる。それにしてもこの宮殿はでかすぎる!タカキと武内は美術館には入らず裏のベルヴェレーデ要塞の方へと向かっていった。1時間ほどだろうか、この美術館に感嘆し、疲れて出てきたときは外は真っ暗、このピッティー宮殿の広場は広く、イタリア人の修学旅行だろうか?学生が集まって写真を撮っている。そこでタカキと武内が帰ってくるのを待っておばちゃんと待ち合わせをしていたサンタトリニタ広場近くのフェラガモ店前に行く。

今日は昨日のホテルの件でオバちゃんが交渉してくれ、俺等だけ日本旅行から夕食のおごりが出た!やったぜ!夕食フルコース!この待ち合わせ場所で朝からピサの方へ行っていた理やヒゴッチ、健吾と落ち合う。ここのレストランの白ワインは上手いらしく、俺は水のように飲んでしまった。ワインには弱いのは少し分っていたが、余りにも今回は回りがすごい。顔が熱くなっていくのが分る。夕食希望の人達も入れ、人数も27人+オバちゃん。だんだん皆陽気になって喋り出す。今まで喋らなかったのがおかしいくらい。はしもっちゃんなんて、テラミス意味なく食いすぎ…。それにしても、前菜パスタから、サラダ、そしてメインの肉がデカイデカイ!!何gあるんだこれっ?!その上最後デザートでプリンやテラミス…。最高に美味しかったし、楽しかった。このままホテルに帰るのが少しイヤだった。向こうで「王様ゲーム帰ったらやろう?」と言っている。はしもっちゃんは顔真っ赤…。「え?行かないの?」と…。当然行く気だったらしい。「イヤ、ホテル違うんだって!俺らは…。」と、俺。結局、ホテルが変えられた事でおごりで食べさせてもらった事をすっかり忘れている彼だった。

こうして別のホテルへ(10人だけ)帰って、何故か武内が俺とはしもっちゃんの部屋へ…?そして、タカキ、ヒゴッチ、…小駒、と入ってくる???「どうしたの?」と俺とはしもっちゃん。

どうやら反省会だったらしい。俺とはしもっちゃんは余りにも女の子達と楽しくしていたらしく、仲間達から怒られてしまった。こうしてフィレンツェの1日目は終って行った…。

フィレンツェ

【あ】

・ヴェッキオ橋

今なお中世の形を残すフィレンツェ最古の橋。洪水に流され1345年に再建。中央にはフィレンツェ貴金属細工の父チェッリーニの銅像が立つ。かつては肉屋や八百屋があったが、ヴェッキオ宮殿とピッティ宮殿を結ヴァザーリ回廊が川上側に並ぶ商店の上に通された際に撤去された。

・ウフィッツィ美術館

ルネッサンス会画の集大成とも言える美術館。16世紀中ごろ、メヂィチ家の当主コジモ1世が、公国の役所(ウフィッツィ)を1ヶ所に集めるために建設した建物に、息子フランチェスコ1世が、メディチィ家の膨大な美術収集品を展示したのが美術館の始まり。古代彫刻から18世紀絵画まで、展示室の番号順に展示されているので様式の変遷をたどりやすい。

【さ】

・サン・ジョバンニ洗礼堂

3つの青銅製の門扉に施されたレリーフが有名な礼拝堂。南の扉はアンドレ・ピサーノの1336年の作。北の扉はロレンツォ・ギベルティは、のちにミケランジェロが『天国の門』と讃えた東の扉も制作。

・シニョーリア広場

共和国時代からの政治の中心で、ヴェッキオ宮殿とロッジア(回廊)に囲まれた大広場。1497年のサヴォナローラの焚書や彼の処刑も行われた。広場にはジャンボローニャ作の『コジモ1世の騎馬像』をはじめ数多くの像が立ち、さながら屋外美術館といった感じ。宮殿の隣にはマニエリズム様式の群像を配した『ネプチュ−ンの噴水』がある。

【た】

・ドォオモ(サンタマリア・デル・フィオ−レ大聖堂)

ブルネレスキが発案した二重構造の建築方法により、1436年に完成。八角形の内陣の上に巨大なク−ポラ載った大聖堂は、奥行き153m、最大幅90m。クーポラ内部の『最後の審判』はヴァザーリらによる16世紀後半のもの。身廊左にはスカターニョなどのフレスコ画もある。裏手にはギベルティの「天国の門』のオリジナルやミケランジェロの未完成の『ピエタ』、ルカ・デッラ・ロッビアとドナッテロの2つ『聖歌隊席』を収蔵するドォオモ博物館がある。

【ま】

ミケランジェロ広場

フィレンツェの素晴らしい風景が一望できる小高い丘の上の広場。アルノ川の北岸に広がる町並みに浮かぶ、ドォオモのクーポラも見える。広場はジュゼッペ・ポッジの設計で1869年に作られた物。中央にミケランジェロダビデ像メディチ家礼拝堂にある4つの寓意像のレプリカを組み合わせた記念碑が立つ。広場のすぐ上にはサン・ミニアート・アル・モンテ教会がある。11〜13世紀に建築され、モザイク画がはめ込まれた美しいファザードはフィレンツェ・ロマネスク様式。

【は】

・ピッティー宮殿

ブルネレスキの創案を基にメヂィチ家のライバルだったピッティ家が1458年に着工。発注主ルカ・ピッティの死後、コジモ1世が病身の妻エレオノーラのために1549年に買い取り改築。左右の翼、ファサードが増築され、横長の巨大な宮殿が完成した。現在宮殿内は、パラティーノ美術館をはじめ銀器博物館、近代美術館などの5つの美術館や博物館で構成されている。