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原付で沖縄への貧乏旅!日記5日目

 結局、4時過ぎ良く眠れずに朝が訪れてしまった。まだ薄暗い早朝にもかかわらずこの山にはマラソン(散歩?!)しに来る人が多いようだ。公園で顔を洗い歯を磨きながら散歩に来たおじちゃんと話をする。この山(丘?!)から眺められる朝日、日の出は素晴らしいものだった。
 昨日は広島に来たものの、広島を肌で感じる事が出来なかったので平和公園へ行く事に決めた。終戦記念に近い事もあって朝(6時前)から結構人が来ていた。広島の人って早起きなの?手を合わせ2度と同じ過ちを人間がしない事を祈り、犠牲になった方々の冥福を祈った。原爆ドームをバックに記念撮影。

 そうこうして岩国へ向けて出発!昼頃、第2の故郷である、山口県防府市に入る。紀に無理を言ってバイパスから降りて故郷を懐かしむ事を許してもらった。8年ぶりの故郷だ。とても懐かしい匂いがする。決して素晴らしい町並みではない、むしろ周りを見渡せば山に囲まれ、川のせせらぎ、草の匂い、まだ緑色の稲が一面と広がる田んぼの姿。全てが8年前の記憶をいっきに甦らせるマテリアルだった。何だろう、急に目頭が熱くなって来た。

 小学校で狂う様に写真を撮りまくった。小学校の視線だととても広い城のような存在だった小学校も今となってはちっぽけな存在だった。あの頃の世界は学校が全てと言って良い程のものだったと思う。「あー成長したんだなー。」ボソっと呟き、改めて自分の成長を実感した。その後、良く行った近くのスーパーに行って一休み。しかし何だか俺の事を町の人は異国の人間を見るような目で眺める。それが俺の気のせいだって事も十分、分かっていたのだがとても取り残されたような物寂しい気持ちになった。そう、浦島太郎ってこんな気分なんだろうなー心の内でそう思った。

 どうしても地元の友達に会いたくなって、電話をした。あいにく俺が知っている電話番号の友達で今地元にいるのは1人だったのでその子に電話してみた。すると彼女の驚いた姿が想像できる程のリアクションが帰ってきた。彼女とは一回東京で会っていたがやはり懐かしい!話によると、これから面接(就職活動)で駅まで行くからその途中会おうと言うことになった。ホントの数分だったが会ってちょちょっとはなし、写真を撮ってから彼女は駅へ向かってチャリンコをこいでいった。後姿を見送り、紀を待たせていたスーパーまで戻る。

 紀には飯を食ってもらってはいたが俺はそれどころではなかった。それから4年間住んでいた自宅に帰ってみたが誰も住んではいない。只、庭の草が高く生え続け、池の水はとっくになくなり、池自体の形を残していなかった。近所で遊んだ広場にも行ってみる。これもまた今考えると小さな広場だったんだ。かくれんぼ、缶蹴り、野球もすればサッカーもやった。夏休みはラジオ体操をやって、冬休みは雪合戦をしたものだった。あの頃は広く感じたけどな。子供の視野ではそれで十分の遊び場だった。

 学校へ登校する時や犬と散歩した土手も歩く。懐かしい、草の匂いと川の流れ。彼岸花も咲いているし、ハヤも泳いでいる。何ら変わらない風景だ。良く川に入って魚追いかけたっけな!蛙やミミズの干からびた死骸もアスファルトにあの頃と変わらない姿で繰り返されている。その中で自分が成長したんだと言う事をグッっと実感した。とても広かった小学生の世界も今ではホントに狭い範囲だった事が良く分かった。

 さー余り、ここにもゆっくりはしていられない。防府の駅に向かって出発する事にした。駅もだいぶ変わっていた。実際の事、駅なんて利用しなかったから良くは覚えてはいないが駅ビル、ニチイがなくなりサティーが出来ていた。しかも、駅の両側へ行き来が出来なかったものがなんと、逆側の方が栄えているではないか!?驚くばかりであった。俺が知らない内にどんどん町並みが変わっていったんだ。とても寂しい、取り残された気持ちになった。

 防府を出てからの2号でこの旅初めてのトラブル発生!と言うのも一言で言うと紀とはぐれた!俺は後ろを走っていたため、気が付いたのだが紀が先を走っていたので気づかず、自動車専用道路を走って行ってしまったのだ。大声で呼びとめたが何せビュンビュン車が飛ばしているわけで全く聞こえず、彼の姿がだんだん小さくなってやがて消えてしまった。本当にまいった。計算外だった。その自動車専用道路は下関まで30キロ以上続いているし、お互い携帯も電波が入らないので連絡がとれない。これが一番辛いところ!連絡さえとれれば何処そこで落ち合おうと言う事も出来たのだが・・・。

 とりあえず、紀の携帯の留守電に連絡を入れるがはたして彼がそれを聞いてくれるかも定かではない。お互いの判断が今、正に問われる事態になった。様々な思案を出して見るが、待っていてもしょうがない、もし、この自動車専用道路を走っていけば恐らく下関には着くだろう予想して、先に進む事にした。何せこの旅の目的は原付で沖縄へ行くことだ。こんな所ではぐれたからと言って負けるわけには行かない。只、連絡がつかないというのは結構心細いものだ。せめてその日に泊まる宿が決まっていたら落ち合う事が出来ていたのだがずっと寝袋でやってきていたのでその予定はなかった。

 別れて1時間半、下の国道を走り続けて30分くらいだろうかふと、サイドミラーで後ろの車を確認すると何と紀がいるではないか?!流石に自分の目を疑ったがはっきりとニヤッと笑った彼の姿がサイドミラーに映っている。ホッと一安心した。それにしてもここにいるはずのない紀が何故?その後聞いてみると、すぐに折り返してきたそうだ。形的には俺が先に進んでいたが電話などしていた時に追い越した状態だったのだろう。紀もその先のコンビニで地図を見て留守電を聞いている時にたまたま俺が前を走り去っていったんだと・・・。それを追いかけてきたと言うわけ!

 何がともあれ下関に着いて、早速交番で銭湯を聞きに行くと、ついでにユースホステル(火の山)の場所も教えてくれた。今日は流石に色々な事があって2人共疲れた。五日間睡眠もろくに取っていなかったし、しかも銭湯がなかった。、九州まで渡ればあるような事だったので今日は本州最後のご褒美にリッチにユースに泊まる事に決めた。リッチと言っても2600円だ。けど、今まで1日をそれくらいの費用でやってきたわけだからリッチと言えばリッチだったのだ。

 ユースに泊まるのは初めてであったが結構楽しいことを知った。今まで何故利用しなかったのだろうと・・・。何より色々な人と出会って情報収集や温かみに触れる事が出来た。それ以外にもまず蚊に刺されない、雨の心配もいなくても良い。そしてトイレ、風呂に困らない。極めつけはクーラーの付いた部屋で寝られるときた。最高の条件。これだけの惨めな旅をしているといつも何気ない暮らしの中でも、とても恵まれた生活をさせてもらっているのだと親に感謝の気持ちまでわいてくる。

 夕食は近くの定食屋をキャプテン(ここの経営者=俺がかってにそう呼んでる)に紹介してもらったので早速行くと話に聞いた通り気まぐれのおばあちゃんが経営していた。俺達が行った頃にはもう閉めようかと思っていたらしい。(おいおい!今まだ17時だぜばーちゃん!これからじゃないの普通?)と、心の内で思ったが「やってます?」と聞くと、おばあちゃんちょっと考えたね。「どうぞどうぞ!」とっても面白いキャラだ。好きになったよこの店が。だって、飯食って、貝汁飲んでそれで300円だよ。しかもトマトや団子までもらっちゃったし。今度、下関に来たら絶対来るんだこの店!それまで健在でいてね。ばーちゃん!

 紀は本当に疲れていたのだろう、飯食って、風呂に入ったら即効寝てしまったようだ。俺はテラスに出て関門海峡の夜景を眺めライダーの姉ちゃんと話をしていた。その姉ちゃんは埼玉の熊谷から来ていて、俺等の柏と松戸ナンバー見てびっくりしたんだって。結構俺の好みのアクティブな女性で話が出来た事がこれまた旅の原動力になったんだ。その姉ちゃんは会社辞めてもう半年位日本各地回っているんだって。もう、沖縄は行って来たて言っていたので色々アドバイスをもらった。香港から来ている留学生とも、お互い英語と日本語片言で話をした。どうやら彼は今大学3年生で土木、主に橋に興味があるんだと・・。俺のオヤジが橋梁の仕事やっているから瀬戸大橋などの話をすると彼は目を輝かせていた。その他にも花火と言うものをどうやって説明するか困ったけど、ジェスチャーで通じ合えた。あと、『0』ゼロと『○』まるの違いが彼は分からなかったらしい。「ごー、よん、さん、にー、いち、まる!」・・・。意味は当然万国共通なので理解はしている。だが読み方か分からなかったらしく教えてくれと言って来た。まぁどうにか分かってくれたらしく、お礼にと向こうのタバコをくれたので俺の方も交換とういう形で最後写真も一緒に撮った。キャプテンにバームクーヘンを御馳走になり、寝ることにした。

5:51 広島:4705.1(km)
      おにぎり・牛乳 209(円)
7:45 岩国:4749.8

12:00 防府:4831.0
      フィルム 880
15:30 圧狭町:
       パン・牛乳 189
17:00 下関:4922.9
       夕食・ご飯・貝汁 300
    ガソリン 287
    ガソリン 293
    ユースホステル 2625
合計 4783