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父が亡くなった

突然のことだった。
高血圧やコレステロール値は多少高かったものの、持病を持っているわけではなかった。
典型的なヒートショックだった。


その日は子供の寝かし付けとともに寝てしまったため、3時くらいに何気なく起きた。
今ケータイの履歴を見直すと5時26分。

見慣れない番号からの電話。
かけなおすと、看護婦さんだろう。「XXX病院です。」
「今電話をいただいたものですが」俺
「あ、XXXXさんですね?」看護婦さん
「はい」俺
「お父様が亡くなりました。」看護婦さん
「え?は?」


その瞬間、さーっと、血の気が引いて頭の中が真っ白になった。
何を言っているのか分からなかったし、どう理解すればいいか、何が何だか。
多分その後、看護婦さんも何か言っていたのだろうが何も覚えていない。
「お母様に代わります」その時はその言葉だけ覚えている。


「XXX!!お父さんが...死んじゃった!!...」母
お袋の叫び声にもならない震える声が電話の奥から聞こえる。
今にも崩れ落ちそうな母が心配だった。
「ごめんね、ごめんね」と母。
その時何を話したかもう忘れてしまったが、父が亡くなったことは確実で、母を一人にしたらヤバいと思った。
お風呂で倒れていたということまでは聞いていたと思う。


同時に、弟にも連絡がいっていて、急いで数日分の着替えを持って実家に戻ることにした。
幸い、始発の時間も過ぎて電車も運行していた。
頭の中は父が死んだこと。今、実家に向かっていること。
その事実だけがそこにあり、それ以外は普段と変わらぬ風景。
電車の扉から疲れ切った顔のサラリーマンが乗ってきて、通勤列車がなんとも色あせた無機質な空間に感じる。
他人からすれば、何気ない日常の一コマで休みを明日に控える金曜日。
きっと一週間の疲れがたまった人たちも多いのだろう。そして、普段自分もその一人だ。


ただ、このときは完全に普段の時間から切り離された自分がいた。
今、自分は一人にしておくと心配な母と、電話先で死んだと告げられた父に会いに行こうとしている。


実家に着いた時には既に警察が来ていて事情聴取が始まっていた。
部屋のいたるところの写真を撮られていた。
母に会えた。
ぎゅっと抱きしめた。
「ごめんね。ごめんね。もっとあなた達にはお父さんを必要とすることがあったはずなのに。」
そんな意味のことを母は言っていたと思う。
「もういいよ。」「大丈夫」
俺はそんなことよりも母が心配だった。


事情聴取をされ、その時の状況を話す母の話で大体の状況が把握できた。
父を発見したのはお風呂の中。
昨夜遅くお酒を飲んで帰ってきた父に心配だからお風呂気をつけてねと告げ、いつもなら心配だから起きているところ、その日は38度もあり風邪気味だったため薬を飲んで、その旨伝えていつもなら父が寝るまで待っているところ寝たようだ。
4時頃起きて気が付いたらお布団にいないので、探しに行ったら部屋の電気がすべて点いていて、もしかして!と嫌な予感がしたらしい。
お風呂場を開けた時、その瞬間は今でも忘れられないと言っている。
一番起きてはいけないことが起きてしまった。と思い、湯船に沈んだ父を無我夢中で引き揚げたようだ。
火事場の糞力というのか、大の大人しかも意識がない男性を湯船から引き揚げるなんて普通は女性ではできない。
夢中で、両脇、両肩を湯船の脇にひっかけ119番に電話したようだ。
もうすでにその時には心肺停止状態だったようだ。
そのまま病院に搬送され、先生に「残念ですが・・・」その先はもう何も耳に入ってこなかったと言っている。
それからは、自分に電話がかかってきた流れになる。


その後、自分も、弟も事細かく事情聴取を受ける。
自宅で死んだ場合は、事件性も含めて至ることまで聴取される。
父の携帯も履歴やメールもチェックされていた。
もちろん、事件ではなく事故なのだが、形上すべての捜査が入るのだろう。
その間、検視に回されている父とは会えないため、全く実感がわかない。
検視は長いと丸一日かかるようだ。
母は自分も弟もいるのでちょっとは安心できていたのだと思う。
母方の親戚の叔父や叔母も心配で来てくれた。


事情聴取が午前中に終わり、父の検視が終わり遺体の引き渡しが夜の8時だった。
どんなにも長く辛い時間だったことか。
引き渡しに警察に行った時も雪が降るとても寒い夜だった。
そこにはもう二度と目を開けない白く、冷たくなった親父がいた。


本当は今日、長女の誕生日会が保育園であり、週末の土曜日には父も母もうちにきて孫の誕生日会をする予定だった。
お袋も、風邪を孫に移したらいけないと早めに薬を飲んで土曜日のために早く体を休めるために寝てくれたのだった。
嫁は保育園の誕生会が終わってから長女と次女を連れて、実家まで来てくれた。


こんな形で、おじいちゃんおばあちゃんに会うことになるとは。
子供がいるおかげで幸い、皆沈んだ状態にはならず騒がしいくらいで、気持ちも紛れた。
次女は数日後に1歳になる。まだしゃべれないので「あーうー」とたまに3歳のお姉ちゃんと喧嘩したり。
子供からすると死というのが何か。まだ分からない。
ただ、おじいちゃんはずっと寝て起きてくれない。
せっかく遊びに来たのに、なんで起きてくれないの?なんで遊んでくれないの?と。
親が涙すると、悲しいことが伝わるのか一緒に泣いてしまう。
「どうしておじいちゃんは起きないの?」「なんで死んじゃったの?」
質問されても、どうやって答えてやればいいものか。
もっと、沢山おじいちゃんとの思い出を作らせてあげたかった。


検視の結果は
不整脈による心臓死
だった。


心臓の持病はなかった。皆が、なぜ?なんでそんな死に方になってしまうんだと。悔しかった。
その日、寒い雪が降る夜で、お酒が入っていたこと、熱いお風呂に形跡からかかり湯もせずに入ったことが原因らしい。
まだ68歳だった。若すぎる。
娘が成人するくらいまでは見届けてほしかった。
人の人生はあっけない。
ただ、お風呂の事故が多いのも確か。
いくら悲しんでも父は還ってこない。


これまでの感謝と、出来たところまでの親孝行を想い。
父のアルバムを開き、父の人生をなぞる。
決してベラベラしゃべる人ではなかったので、知らないエピソードだらけだ。
頑固でまじめで厳しくて、よく自分が学生の頃は衝突したものだ。
早く独立して家から出たかった。
ただ、ただ父親に認めてほしかったし、褒めてほしかった。


そう、彼は一度も俺を褒めてなんかくれなかったな。。
いつも、頭ごなしに子供の意見を聞かず一方的だった。
自分が間違っていても決して引かなかったし強情だった。
そんな父親が嫌で、そんな父親にはなりたくないと。
ある意味、そんな父親のおかげで自分の父親像は反面教師からできているのかもしれない。


こんな死に方で逝くなんてずるいぞ。

ばーか。

もっと、しっかり祖父の仕事してからでしょうに。。


まだまだいっぱい話したかったこともあったのに。


まだまだ色々思い出も作りたかったのに。


一度でいいから認めさせてやりたかった。


やっぱりオヤジの背中は広くて大きくて。
何でも守ってくれる、そんな小学生の頃の記憶のまま。



俺もそんな父親になれるかな?


せめて天国から孫達を見守っていてくれよ。
そしてこれまで本当にありがとう。
男同士だからこそ、言葉にできない複雑な気持ちも全部ひっくるめて






ありがとう。