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じいちゃん

ここ数ヶ月で様態が急変してきた。

去年の春だったか、胃癌と宣告されてからもう手術しても体力が持たないとの事。転移してしまっている。
祖父本人、祖母にはある時期まで話さないことに親戚一同なった。
とはいえ、食するときに胃の痛みを訴えるため、胃潰瘍ということで入院。
がこれが、本人元気で食べる食べる。
精神的にもただの胃潰瘍ということだったからだ。
病院嫌いもあり、早く家に帰ると相当看護婦を困らせたようだ。
以降、入院はせず家で過ごすことになった。
祖父祖母2人で住んでいるため、何かあったときには非常に心配だが、黙っている以上いつまでも胃潰瘍では入院できない。
先生も手術を行わない以上、最後まで普段の生活をして暮らした方が良いと判断。

それが去年の夏。
ちょくちょくは千葉の四街道の家に行って様子は見に行っていたが、傍から見ると全く何もなさそうだ。
孫が着たからむしろ喜んで、色々話す。
近くに寿司を食べに行こうと。
俺の庭だから何でもあると、家の近くのファミレスを自分の所有物のように粋がって言う。
そんなじいちゃんが好きだったりもする。
俺が車で行かなかったときは、歩いてでもいくと数百メールもハァハァ言いながら歩く。
こっちがつらい。が、タクシーを頼もうとすると拒む。
祖父なりのプライドなのだろう。
孫には情けないところは見せたくない、まだ一人でできると。。
俺は祖父の意思を尊重した。
それが何よりも戦前、昭和と生き抜いてきた日本男児の姿だからだ。
後ろから見る祖父の背中はもう小さく、後ろから抱きしめてあげたいほどの姿を苦しく見守る。


かれこれ何度か様子を見に行くがケロッとしているたものだ。
当然平日は仕事があるため行くことは出来ないが、お袋が平日はたまに見に行く。
去年の秋から冬にかけて、もうあまり食欲もなく睡眠時間が多くなった頃、病院からホスピスへ入ることを進められる。
(親から聞いたので直接は分からない)
そこで、癌を本人、祖母に告知することになったらしい。
やはり、お袋を含め3人の娘達は両親にそれを告知するのはどんなに辛かったことだろうか。
孫である俺でさえ、辛く苦しい思いをしていたのだから、、、
子供が両親に告知をする辛さは計り知れない。

その場にいない俺は後から聞いたが、
祖母は泣き崩れた。
祖父は隠していた事をやはり怒った。

とはいえ、半年以上は十分通常の暮らしが出来た、事実もある。

自分だったらと思うと、どちらも・・・
隠されていた事への憤りと、もう治らないという脱力とともにこみ上げる虚しさ。


以降、去年の冬に祖父はホスピスの個室へ、祖母は家から見舞いに通う日々が続く。

2月に弟と2人で見舞いに行ったときには、驚くほど元気だった。
まだお前は携帯作っているのか!?
今の最先端の技術はどうなんだ?
と、うちの両親よりも新しモノ好きな昔ながらのエンジニア。
俺は決して、簡略して話したりはしない。
話の中身を理解してもらわなくたっていい。
こんなことやってんだ。ということが少なからずも伝われば良いと思っている。
下手に端折ると突込みが入ったものだ。
そのときは、そんなことも知らんのか、もっと勉強してこいと怒られる。

病棟の施設を教えたがる。
風呂場だの、サロン室だの。
看護婦見つけては「俺の彼女だ!」と。ボケているわけではない。
以前からそういうジョークが好きなのは知っていた。
「すみません」と頭を下げつつもそんなじいちゃんが誇らしかったりする。
聞かずとして分かるが、病院でも目立っているらしい。
「あ〜ら、今日はお孫さんお2人も来てもらって良いわね〜」
そんなことを看護婦さんに言われると、なんともいえない自慢気そうな顔で笑っている。
会うたびに思うのだが、きっと孫の前ではしっかりした、じいちゃんを演じたいのだ。
そのあんたの血が流れているから分かるんだよ。。。


それから2ヶ月ほど、仕事やなんやらで病院に行ける機会が無く、ようやく今日、両親と祖母3人でお見舞いに行って驚いたのが、もう見る影も無くやせ細った体となり、ベッドに横たわっていた。
話しかけるのが苦しかった。
いつものように冗談がいえない。。
なんでだ?心の中でそう思った。
元気?なんて言葉もかけられない状態だった。
食欲がないとは聞いていたがヤクルトやヨーグルトがせいぜい。
それでも、皆がいるからなのか、頑張って食べようとする。
それが余計に痛々しく感じる。
摩り下ろしたりんごを食べさせるお袋。
見守る祖母と親父。俺。


なんなんだこれ?
どーしちゃったんだよ?
2ヶ月前はこんなじいちゃんじゃなかったはずだ。
看護婦つかまえてジョークかましていた、あんただろ!?
ぐっとこらえて心で叫んだ。
嘘であって欲しかった。
耳も遠く、ボケも始まってしまったらしいが、今日は頑張ってたのか
何を話すわけでもなくハッキリと俺の顔を見つめていた。
話しかけると反応もしてくれる。
でも確かにこの2ヶ月で何か歯車が崩れかけたかのように変わってしまった。


見舞いに行く前に4人で食事をした時にふと、
「普通なら治る姿を見るために世話しに行くはずなのに、日に日に弱る姿を世話しに行くのは辛い」と涙した祖母の意味が分かった。
そんな俺の祖父の誕生日は5月9日
93歳の誕生日だ。
出来る限り最後まで孝行したいと思った。