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妻の危機

14時頃:
午後一の打ち合わせが終わって帰ってきたら電話が鳴り続けていたようだった。
履歴には知らない番号。
留守電には今朝、妻を連れて行ったかかりつけの病院の先生から、様態が一向によくならないのと血圧が低いままと言うことで救急で聖路加に搬送したとのことだった。

出社までの出来事
(今朝、妻の熱が一向に戻らないのと解熱剤が効かないため心配でかかりつけの病院に連れいてった。妻はしんどいから行けない。と言っていたが、心配だったので背負って連れて行った。結果的には全てはこの判断が良かったのかもしれない。
かかりつけの先生に先日からの様態と状況を説明。
脱水状態が起きているとのことで点滴するとのことだった。毎晩1リットル近くお茶やスポーツドリンクを用意していたのだが、どうもそれでも足りてはいなかったようだ。
いつもなら点滴すれば元気に歩いて帰れるだろうと、とりあえずはそこで自分は出社した。)

留守電を聞いて驚いて、まずは再度病院に。。。話し中。
もう一つ知らない番号に再度かけ直し。(聖路加病院かな??)救急隊の電話だった。
奥さんを聖路加に先程搬送しました。と。
お礼を言ってその後何を話したかあまり覚えていない。
かかりつけの病院はまだ電話中なので、母に連絡し、まずは子供たちの面倒を夜見てもらうことを頼んだ。
会社にはその旨伝えて、聖路加へ。
品川から築地は車だと微妙に遠回り。かつ、昼時で混んでいるため電車のほうが早いと考えた。
時間的にはそう長くはなかったと思うけど、乗っている時間が長い長い。
お袋は電話で心配しなさんな。とは言ってくれたものの、本人の声が聞こえるまでは不安で不安で。


15時頃:
病院についてから救急外来で受付し、治療中の妻に会うことができた。
オペ室だったと思う。まだ体中熱く、赤みかかっていてただ、話は出来る状態だった。
吐き気がするとその場で2度ほど吐いたが意識はある、少し安心した。
ただ、鼻から酸素注入、うでには点滴と抗生剤の注射針。
素人が見ても救急状態だというのは分かった。
先生が言うに血圧が一向に上がらないのがわからないとのことだった。
あらゆる処置をしますとは言われ、一旦外で待つように言われた。
状態を、まずは母に。そして、搬送されたことは義母には伝えた。
処置しますからちょっと待っててくださいと外に出されて、何時間だろう。
もう長い長い。
なんて長い時間なんだろうと思った。救急の待合室っていやだ。
ここは以前にも娘を連れてきたことがあるが、待合室も暗く、夜にかけてメインのフロアは人がいなくなり電気が消え、ここだけ薄暗い状態で同じように待っている人たちがいる。
決して陽なエリアではなく、陰である。


18時頃:
3時間ほどして、主治医の方が話をしてくれた。
血液検査やCTスキャンもしていたようだ。血液検査は培養に時間が掛かるとのことですぐにはわからないと。
ただ、あらゆる方面の先生方が集まって見解を出してくれたようで、ブドウ球菌性、レンサ球菌性による”毒素性ショック症候群”ではないかと言うことだった。
もちろん、そんな病名言われてもポカーンとしている自分に、その症状の恐ろしさと、万が一命にも関わる事であるということをその場で教えてもらった。

その瞬間、父の時と同じように頭の中は真っ白。
なってこった、こんなに小さい娘達を残して逝かれたら、、
どうしてこうも纏めて不幸が訪れるものなのだと自分の運命を憎みもした。
でもそうしても始まらない。先生も全力は尽くすと言ってくれ、自分はお願いをするしかなかった。


19時頃:
病原体の特定ができないため、広範囲に効く抗生剤から範囲を狭めるように進めているとの事だった。
そういった処置をすすめる上で今日はICUに入ると説明があり、入院の手続きとすすんだ。
さっきの先生の話は聞いたものの、ICUなんて聞くと本当にやばいんだな。という気になった。
友人の看護婦は皆ICU出だったり現役だったりして話は聞くもののまさか、妻が集中治療室に入るなんて思ってもいなかった。
母に相談して、義理の父母に伝えるべきか相談した。
ただの入院ならまだしも、ICU。義理父母にも伝えることにした。
妻の会社の人にも連絡をすることにした。
義理父母も会社の上司もそれは驚く。わかっていた。
どう説明するか、こっちもパニクっては説明できないし、誤解を与えてもまずいので先生から言われているがままに伝えた。
血液検査が分からないと病名も判断できないこと、現段階では出来る限りの事をしてもらっていること。命に関わる可能性があることも。症状も熱は39度、体は赤みが出ていて目が充血している。血圧が70を切っていて上がらないこと。


21時頃まで:
ICUの待合室でずっと待っていた。
同じように、オペの結果を待っている家族。
薄暗い廊下の電気。色々書かされる書類。
入院、処置に対する書類。
いきなり聞かれても。妻とは軽く話したこともあったが、こんなに直面するとは夢にも思っていなかった。

・病気についてどんな情報でも事実を知らせますか
・延命治療の要望について
 効果は期待できるが副作用の強い薬物医療
 痛みや苦痛を和らげる治療を優先
 医療機器による延命処置

もう、どんどん頭の中は悪い方へ悪い方へ。。。
◯しかけては書く手を止めて、◯しかけては書く手を止めて、、

ご本人が判断できなくなった時に判断を委ねるかたはどなたですか。
委ねる方の氏名:
患者との続柄・関係:
記入日:
記入者:

そんなこと聞かないでくれ、心でそう思った。
俺は妻の命の判断をする資格はあるのか?やっぱりその資格は義理の父母なんだろうか、いや、妻だったら自分を選ぶだろうか?
何度も何度も自問自答して、結局これらの欄は書けず終い。。
ICUの看護師さんに、今は考えられないですよね、では後でも結構ですので。といって書類を持っていかれた。

きっと回復する。こんな質問意味ないんだと、自分に言い聞かせたかっただけなのかもしれない。
書いてしまったらそっちの悪い方に事が進みそうで書けなかった。


22-23時頃:
ICUの看護師さんが来られて、奥様は血圧も安定してきたので旦那さんは今日は帰られても結構ですよと。
ほっと一安心した。
命に別状は?と聞くと、まだ分からないと。何かあれば直ぐに連絡しますと言われた。
なんだか全然、安心できないけど、さっきまでとは何か違う緊張感に代わった気がした。
待合室で放置されていればされているほど、こちらに対して余裕が無いことなんだろうと。
こうやって、看護師さんが妻の元を離れて話をしてきてくれるということはと、自分なりに解釈した。
帰り際に妻に会えるとのことで会いに行ったら、体を横にして、管につながれた妻がいた。
まだ熱もありしんどそうだった。
目はかすかに開いて意識はあるようだったが、話したい気持ちを押し堪え、見守って帰ることにした。
どうか早く回復しますように。

母と、義理父に電話をし、一旦は安心出来る状態になった旨つたえることができた。
その後の家路に向かう途中の出来事は正直あまり覚えていない。
家に帰って、母が作ってくれたご飯を少し食べて、食欲はやはりなかった。
風呂に入っても体が休まる感じはせず、携帯を枕元になかなか眠れないまま横になった。
きっとそんな自分を見て母も心配だったに違いない。。。